豆屋が、ある長屋の路地に入っていくと凄い顔をした男に呼び止められ、一升いくらだと聞かれる。値段を言うと、「おっかあ、おもてぇ
心張りかって、そこにある
薪ざっぽう一本持って来い」と閉じ込めれ、まけろと脅される。一升枡(ます)に豆を山盛りにさせられたうえに、さんざんに値切られてしまう。やっと帰れたと思ったら、また向こうの家から呼ばれる。これも恐い顔の男で、一升いくらだと聞かれる。
これはさっきの兄貴分か親分かと思って、仕方なく安い値段を言うと、「おっかあ、おもてぇ心張りかって、そこにある薪ざっぽう一本持って来い」と閉じ込められ、そんな安い豆があるはずはないと嚇される。どうなることやら…という滑稽噺。
短い時間で高座を勤めなければならない時にやる一種の「逃げ噺」。噺は短いが、落ちでドーンと受けて下りられるという型の落語。テンポよくポンポンと運ぶのもコツでしょうか。
CDならNHK落語名人選50十代目桂文治(他に「源平盛衰記」を収録)POCN−1090でお楽しみください。
「十人寄れば気は十色」というわけで、それぞれ好き嫌いがあるもんです。
若い連中が集まって陽気に盛り上がろうというところへ、あとから一人、血相を変えてやってくる。なんでも苦手な蛇に出会ったとか。なるほど、
胞衣を埋めた上をいちばん最初に通った虫がこわくなるなんて迷信もあり、それじゃあ蛇がとおったからか?
とにかく虫が好かねえとかは、みんなあるだろうから聞いてみようと、話がもりあがったところで、怖いものはない!という男が出てくる。ところが、よく聞いてみると、そいつは実は饅頭がこわいと言う。おもしろがった仲間たちが、そいつを饅頭で暗殺(?)しようと…ところが、
という落語の中でもポピュラーなもの。
『
雑俳』のように八っつあんに隠居さんという1対1のシチュエーションに慣れたら、登場人物が多い落語にチャレンジしていく。大人数の雰囲気を出すわけですから、明るくにぎやかに楽しそうに演じることがポイントでしょうか。饅頭を割って餡を確認しながら食べる
所作も見所。
もとになった話は、中国の
明の時代の笑い話だそうで、それが日本に来て翻訳されて、多くの落語家が、手を加えてひきのばして現在にいたったというから、落語の中でもかなり古いものだそうです。
それだけに昔からよく知られた咄で、落ちの「濃いお茶が一杯こわい」ということばが日常会話にも用いられるくらいになったとか。
そんなふうに知られすぎたとはいえ、筋がわかっていても、笑っていただけるように精進、精進!
國落の演者の弁によれば、
弥志亭なごみ曰く、「饅頭をこわがっているようにみせるところは難しかったです。」
壮烈亭美竺いわく「やはり食べる所作をすることは困難を極めました」などと研鑚のあとが偲ばれます。
まあひとつ、CDなら五代目柳家小さん名演集(九)ポニーキャニオンPCCG-00055(他に親子酒・うなぎ屋所収)などでお楽しみください。
八五郎出世とも呼ばれ、昔から親しまれた落語でしょうか。士農工商という身分差のきびしかった封建時代。お大名に見初められてお屋敷奉公にあがった町娘のお鶴がお世継ぎを生んだ。兄に会ってほしいとねだられた殿様の
鶴の一声で、八五郎が大名屋敷に呼び出され、
お召しかかえで出世するというおめでたい噺なんですが、出かける身支度の世話をする大家さんも大騒ぎ、出かける八五郎はトンチンカン、八五郎と殿様の間に入った家老の三太夫はいい災難…食い違いの滑稽さばかりでなく、少しホ
ロリとさせられる演出もできるなど、なかなかの大ネタでもあります。
梅毒蝮秘三太夫いわく「なんといっても、何時、どんな所にいってもつねにかざりけなくありのままでいようとして人間臭い八五郎を演じてみたい。八五郎はさしづめ落語の中の寅さんといったところか!? とくにこの話はその八五郎を中心として、話がコミカル展開して行くところが気に入っている。が、八五郎をいやみなく、さらっと演じる事が思いのほか難しい。またそれにともない徐々に八五郎のペースに巻き込まれていく周りの人達の雰囲気もうまく見ている人に伝える事ができれば」と。苦
労の跡もうかがえます。
CDなら、NHK落語名人選17八代目三笑亭可楽(他に二番煎じを収録)POCN−1017などでお楽しみください。
浅草蔵前の八幡様の界隈に、一匹の白犬がいた。江戸時代には白犬が人間になることがあると信じていた人が多かったそうで、参拝する人々が「お前は人間に生まれ変わるから楽しみにしていな」といって頭をなでていく。
「今すぐ人間になりたいから、八幡様にお願いしよう」と三七、二十一日の間、はだし参り(まあ犬ですから当たり前…)。
満願の日の朝、白い毛が飛んで人間になった。ちょうど
桂庵の旦那にひろわれて、変わった奉公人を捜しているご隠居がいるというので、そこへ連れて行かれる。
ところが人間になったばかりで犬の習性が抜けきれないので、あまりにもトンチンカンなことを言ったりしたり。
ご隠居が「鉄瓶の蓋が
チンチンいってないか」というと、
チンチンの格好をするし、「
焙炉を取ってくれ、焙炉」といえば、「ワン!」。いくら変わり者を捜していたとはいえ、ご隠居は気味が悪くなり、女中のおもとを呼んだ。
「もとはどうした。もとは
いぬか」の問いかけで、オチにつながります。
まあ、ナンセンスといってしまえば、それまでですが、一つ一つのしぐさを丁寧に大きめに、おおらかさをかもし出していくことができればいいでしょうか。
市販のCDでは、八代目春風亭柳枝名演集(一)PONY CANYON(他に山号寺号、たらちね収録)PCCG-00040で、お楽しみください。
”
罪がない”とされる子どもがでてくるお噺。とはいえ、
「昔々…」「何年ごろ?」
「あるところに…」「どこの国、何ていう町、番地は?」
「おじいさんとおばあさんが…」「名前は?」
「うるせえ!」
と一つ一つ聞き返してくる現代っ子(?)の金坊に悲鳴をあげ怒るお父っつぁんに金坊は、この「桃太郎」の中に秘められてある内容を分解して説明をしてやることに。聞かされたお父っつぁん「なるほど、フンフン、そうかぁ…」と感心していくという逆転の一席。
「あのネ、お父っつぁん、昔々とかっていう語り出しは、時代や場所を決めちまうと話が狭くなる。日本中どこでも通用するように、つまり話に
普遍性を与えるという…」
やな子どもだね、どうも。
「キビ団子は
粗食の代表。犬・猿・雉は智・
仁・勇、だよ。猿は智恵があり、雉は勇気があり、犬は三日飼われるとその恩を忘れないってぇだろう。鬼ケ島、あれは世間を鬼にたとえたんだよ。そこで闘って成功して、信用という宝を持ち帰りましたっていう話なんだよ」云々…。
落語は、ためになります。親子で聞かなきゃあいけません…なんてとこでしょうか。でも昔話は昔話として、何事もあるがままを受け止める”ゆとり”ももちたいものだとも思いますが。
大きな声で、はっきりと、明るく元気よく、という落研で最初に言われる心得を胸にとめて、話し手も聞き手も楽しめる、ほのぼのとした雰囲気を出したいところ。
市販のCDなどは………誰か教えてください。(^^ゞ