「落とし咄に出てくる人物はってぇと、たいがい決まっております。八っつあんに熊さん、それに横丁のご隠居、人のいいのが甚兵衛さん、馬鹿で与太郎という、このへんが大立者…」そう、その甚兵衛さんが登場します。この甚兵衛さんをどう演じるかというのも、なかなか難しいところです。下手をすると与太郎のようになってしまうし…つまり、「人のいい」という肩書きをどうとらえるかということにつきるのでしょうか。
最も語釈が具体的かつ個性的な三省堂
新明解国語辞典によると、「(1)他人の言行を頭から信じ、恨んだり憎んだりする所が全くない。(2)人にばかにされても、また人から皮肉を言われてもすぐぴんとはこないほどに血のめぐりがよくない。」とあります。やはり(1)のいわゆる善人というのは、どんなだろうという人間観察が必要となってくるでしょう。
道具屋を営む甚兵衛さん。普段から商売が下手で、おかみさんからサンザ小言をくらっています。今日もきたないけれど時代がかった太鼓を仕入れてきたものの、おかみさんから金をどぶに捨てるようなもんだとけなされます。しかし、ひょんなことから、さる大名のお屋敷に、この太鼓を売りに行くことになる。おっかなびっくりの甚兵衛さん、この太鼓が火焔太鼓という世にふたつというような名器だったので高値で売れるということになって舞い上がってしまいます。この浮き沈みの激しい心理描写が聞き所。
また、「
志ん生の火焔太鼓か、火焔太鼓の志ん生か」といわれる志ん生ならではの
クスグリが多く盛り込まれた落語です。「お前さんは馬鹿がこんがらかっちゃったねえ。」「なにを言ってやんでぇ、びっくりして座りションベンして馬鹿んなんじゃねえぞ!」などなど。
それにしても、この落語もオチがわかりにくくなってしまったようです。「
半鐘はいけないよ、
オジャンになる。」のオジャンは半鐘の音にひっかけたもの。江戸時代には火の見櫓(やぐら)に吊るしてあった半鐘を、火事が遠いときにはジャンジャンと、近い火事にはジャンジャンジャンと三連打、町内の出火はジャジャジャジャ…と続けざまに鳴らしたそうで。
時代劇ぐらいでしか見なくなってしまいまして、昭和の時代は東宝の特撮映画で半鐘をジャンジャンジャンと鳴らして「
ゴジラだあ、逃げろ〜」っていう場面で、まだ馴染みはあったもんですが。えっ、それも知らない!?明治じゃなくて、昭和は遠くなりにけりですね。
そう、それと、CBS・ソニーが出していた「東京放送」に遺された実況録音テープからのレコード(これも時代を感じますね)に、お正月の高座ということで、「太鼓はもうかるよ、ドンドンともうかるから」と、志ん生が落としているものがありました。おめでたい席でおじゃんにしてはいけないということで考え出したそうですが、私は学祭の真打披露のときに、このオチを使わせてもらいました。
さてさて、今回は数多く商品化されている中で、ちょっと変り種「山藤章二のラクゴニメ(1)古今亭志ん生 火焔太鼓」PCVP-11335というアニメーションで再現したビデオがあることをご紹介しておきます。お楽しみください。
いわゆる間男(まおとこ)の
一席。間男とは新明解国語辞典によると「夫のある女性が他の男性と密通すること。また、その男性。」とあり、では「密通」はと引くと「昔、禁じられている間柄に在った男女が、人目を忍んで性的な関係を持つこと。」と、いまや「不倫」という言葉に取って代わられたと言いたげです?
まあ、昔は結婚は親がきめる、たとえ若い二人が惚れ合っていて夫婦になろうとしても親が許さなければ仕方がないんで駆け落ちと…さらに封建的な社会では、女のほうが自分の亭主以外に本当に好きな男と情を交わすことは許されず、これをやると死
罪。ただし亭主にだけその権利があって、その場に踏み込んだのであれば二人の男女を切り殺しても罪にならないというわけで、重ねておいて四つにされる。でも、相手の男は殺したいが女房は惜しいんで、「だらしない亭主ようよう三つにし」なんて古川柳もあるとか。
この手の
川柳で、もっとも有名なのが「町内で知らぬは亭主ばかりなり」というおなじみのものや、「間男は亭主のほうが先に惚れ」〜「おい、こいつはなあ、いい奴だから、お前も面倒みてやれよ…」というのが始まりで、そのうちに本当に面倒をみるようになってしまってというのが、この咄のはじまりです。
旦那が留守なのを
物怪の幸いと呼び出された新吉。ところが旦那が帰って来て、
間一髪、裏口から逃げたものの、
紙入れを忘れてしまった。それも、いつも世話になっているその旦那からもらったもので、旦那が見れば自分が来ていたことがわかってしまう、おまけに「今晩旦那が帰って来ないから泊まりに来い」という手紙を入れてある!
もう駄目だ、おしまいだ!逃げようか、でも見つかってなければ逃げることはなし、明日様子をうかがいに行ってみよう、いや謝りに行こうと、旦那の家へ。
「誰だ、新吉じゃねえか、こっちへ上がれ。この野郎!」「すいません、二度としませんから勘弁してください!」…さあて、旦那の恩を裏切ったうしろめたい気持ちと、年上の女の色香との板ばさみになってしまった新吉の運命やいかに。
風の谷の塗八いわく「後半の旦那と新吉のかけあいが気に入っている」という
佳境にはいります。
CDでは日本コロンビアから談志が選んだ・艶噺し八 三遊亭円弥(他に土橋亭里う馬めぐすりを収録)COCJ−30758などで、お楽しみ下さい。
まだ酒飲みが出てくる噺はあまりふれていませんでしたね。
酔っ払いの亭主とその女房の噺。私も好きな噺で、敬老会などに呼ばれたときは、この噺をもっていくと、たいてい喜ばれるものです。
酔っ払った亭主が帰ってきた。女房は寝かせようとするが、亭主はもう少し飲みたいと言うは、ツマミをもってこいと言うは。女房がなんにもないよと言っても、「今朝食べた納豆の残りが…」とか「となりでもらったおしたしが…」とか散々言う。しまいに漬物までないと聞くや「生で持ってこい。生でかじって、糠と塩を食って、頭に石を乗せて置く…」なんて言い出す。亭主が聞き入れないので、女房は仕方なく、おでんを買いにいく。すると亭主は「あーあ、いっちゃった。
有り難いねえ、女房ならばこそ、夜、夜中、亭主のわがままを承知で、おでんを買いにいってくれる、俺には過ぎたる女房だ。いい女だよ。口じゃあポンポン言うようなものの、心から済まないと頭を下げて、……おいっ、まだいかねえのかい。いけねえ、元帳見られちゃった…」で、たいがい落ちに。
実はこの先があって、女房がおでんを買いに行った留守にまよいこんだ”うどん屋”と話し込みながら亭主は酒に燗を付けるのを頼み、燗が付いたら「もう用はない」と追い出してしまう。帰ってきた女房が気の毒に思って何か注文しようと”うどん屋”
を呼ぶ。居合わせた客が「おい、うどん屋、あそこの家で呼んでるよ」「えぇと何処で……あっ、いけません、いまあそこへいくと”御銚子の替り目”です」というのが本来の落ちだそうな。
CDならAPC−38古今亭志ん生名演集(三十)他に「後生うなぎ」「ふたなり」「たいこ腹」を収録〜このシリーズは安価でおすすめ
MADE BY PONY CANYON などでお楽しみください。たわいもない日常の活写がうけるのでしょうか。
酒の上とはいえ大変な失敗(しくじり)をした侍がでた藩の殿様が自らを含め禁酒令を出した。それでも酒を飲む者がいるので、殿のお耳ィ入るてえとえらいことになる。重役会議の結果、屋敷の門の脇に番屋を設けて、厳しく取り締まることに。この
家中の近藤という侍が馴染みの酒屋に「一升、屋敷内の
身共の小屋へ届けてくれんか。金に
糸目はつけん。」と無理な注文をする。なんとかしようと店の者は、カステラの
折の底に五合徳利を二本並べ、蓋(ふた)をして
水引をかけた包みをこしらえた。
「お願いでございます」「通れェ、いずれへ参るか」「近藤さまのお小屋へ通ります」「なんだ?その方(ほう)は」「へいッ、手前向こう横丁の菓子屋でございます。カステラのご注文でございます」 「なに…役目の手前手落ちがあってはならん。一応は取り調べる。包みをこれへ出してみろ」「へい…これあの
おつかいもんでございますんで…」 「なに?進物(しんもつ)か。あゝそうであろう。家中きっての酒飲み近藤が食すわけはないと思った。改めるには及ぶまい。では、ま、よいから持ってまいれ」「ありがとうございます。どっこいっしょッ」「待て!」うっかり口をすべらせたために番屋の役人に見破られた上、中身を取り調べると口実に?一升の酒を全部飲まれてしまった。「こら、かようなカステラがあるか。あの
ここな偽(いつわ)り者めがッ!立ちかえれェッ!」仕方がないので、今度は油徳利に酒を入れ、油屋に化けて行くが、またもや失敗。偽り者なんぞ言われて二升のまれた店の若い連中は腹立ちまぎれ、寄ってたかって一升徳利へ小便を仕込む。「小便を小便ですと言って持っていくんですからね、嘘(うそ)偽りないんですから」と敵討(かたきう)ちに!? もお役人もベロベロ。はてさて、こっからの演じ方が芸の細やかなところ。ものがものだけに、不快感が先行して、仕返しの痛快味が半減しないように「きれいにはなさなくちゃいけない」というのが、この噺を
十八番とする柳家小さんの演出の苦心とか。
市販されているのはNHK落語名人選49五代目柳家小さん(他に「長屋の花見」を収録)POCN-1089などがあります。お楽しみください。
いつも伯父さんに小言(こごと)ばかり言われている与太郎。言われたとおり素直に(?)やるから(伯父さんが爪を伸ばしておくとよくないから爪を取れというから猫の爪を取って叱られたり…)失敗ばかり。さて伯父さんが出かけた後、店番をしていると上方(かみがた)の方の言葉づかいお客がやって来て口上を聞くが、これがさっぱりわからない。
「私(わて)中橋(なかばし)の加賀屋佐吉方(かた)から参じました。先度(せんど)仲買(なかがい)の弥市(やいち)が取り次ぎました
道具七品(ななしな)のうち、祐乗(ゆうじょ)・光乗(こうじょ)・宗乗(そうじょ)三作(さんさく)の
三所物(みところもの)、ならびに備前(びぜん)長船(おさふね)の則光(のりみつ)、四分一(しぶいち)ごしらえ横谷宗a(よこやそうみん)小柄付(こづかつ)きの脇差(わきざし)、柄前(つかまえ)はな、旦那(だな)はんが古鉄刀木(ふるたがや)と言やはって。やっぱりありゃ埋木(うもれぎ)じゃそうに、木ィが違(ちご)うとりまッさかいなァ、念のためちょとお注意(ことわり)申します。次は
のんこの茶碗、黄檗山(おうばくさん)
金明竹(きんめいちく)、寸胴(ずんどう)の花活(はないけ)、『古池や蛙(かわず)とびこむ水の音』と申します、あれは
風羅坊(ふうらぼう)正筆(しょうひつ)の掛物(かけもの)で、沢庵(たくあん)・木庵(もくあん)・隠元禅師(いんげんぜんじ)
張交(はりま)ぜの小屏風(こびょうぶ)、あの屏風はなァ、もし、私(わて)の旦那の檀那寺(だんなでら)が兵庫におましてなァ、へえ。この兵庫の坊主の好みまする屏風じゃによって、兵庫へやり、兵庫の坊主の屏風にいたしますと、かようお伝言(ことづけ)願います。」筑摩書房刊飯島友治編『古典落語』第一巻から
伯母さんにも聞いてもらうが、さっぱりわからないうちに帰られてしまい、戻ってきた伯父さんに説明するにも、伯母さんに与太郎が伝染(うつ)ったんじゃないかと思うような珍問答に。
レコードで三代目金馬のとかあったんですが、言い立ての入った音源がCDだと…誰か教えてください。
(余話)TBSラジオ放送で川戸貞吉が林家彦六から聞いたという話によると、いわゆる前半の猫の件は、別の独立した落語であったのを先代金馬が金明竹につっこんでしまった。つかみこみは恥ずべきこととする林家は「小僧や、小僧や…」で始まり、旦那がお使いに行ってしまってという昔の型を守り、猫の件はやらなかったとか。
落語でお馴染みの与太郎が出てくる噺ですが、この与太郎、ちょっと違います。
なんと!親孝行なんです。それで将軍様から
青緡五貫文(ごかんもん)の褒美をいただきます。でも、それをそのまんま渡せば与太郎は馬鹿だからすぐに遣っちまうだろうてんで、大家さんや町内の者が、これを元手に飴屋をやらせてみようということに。その名も孝行糖。
「ほォら、孝行糖…孝行糖…孝行糖の本来は、
粳の小米に
寒晒し、榧(かや)ァに銀杏(ぎんなん)、
肉桂に丁字、チャンチキチン、スケテンテン。昔、昔、もろこしの…
二十四孝のその中で、
老莱子といえる人、親を大事にしようとて、こしらえあげたる孝行糖だ…食べてみな、おいしいよ、また売れた、嬉しいね」
と鉦(かね)と太鼓の音を合方に囃して歩く。親孝行の徳で、たいそう売れるんですが、ある日、江戸中で一番やかましい
水戸様の御門前で売ろうとして門番に六尺棒でめったうちにされた与太郎が、通行人に助けられ、「痛いですめばいいほうだ。どことどこを打たれた?」と聞くと…(地口と仕草の落ちが待ってます)。
さて、ただ馬鹿のように演じればいいわけではない与太郎にも個性があって、それを豊かに演じあげるというのも難しくも味わいのあるところかな?
CDならNHK落語名人選5 三代目三遊亭金馬(他に薮入りを収録)POCN-1005でお楽しみください。
落語の中に出てくる、これまた個性的なキャラの権助(ごんすけ)。この噺が持ちネタの風の谷の塗八も「ずばり権助をやってみたくて選んだ」と言います。
旦那が
お妾さんのところへ通っていると感づいた奥様に、権助が旦那の出かけ先を確かめるように命じられます。ところが権助は逆に旦那に買収されて、隅田川で網打ちなどして遊んで遅くなるとごまかしてくれと頼まれます。一応、その証拠に魚屋で網打ち魚を買って奥様に見せろと言われるんですが、権助が買ってきたのは…
ニシンに
タラ、ゆでダコ、めざし、かまぼこ等々。
これが隅田川でとれたと、きちんと説明してみせるんですから権助はすごい!
ちょっと市販のCDなどがわからなくて申し訳ないんですが、ばかばかしく楽しめる噺です。